親なのに、今現在ですら情報量が絶望的に不足してます

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今にして思えば、こんな親父が居たら不審すぎるはずなんだ。

小さい頃は「こんなもんだよなぁ」と二人して全く気にも留めていなかったけれど、
今思ってみると不可解な部分が山ほどあることに気がつき、ここ数年間記憶を
無理やりほじくり返している所です。

・・・が、殆どすべての内容を、文字通り墓まで持っていってしまわれたため、
自分達に残っている記憶と、わずかに残っている写真・その他痕跡から
親の正体を探らないといけないってのは、果たして良いことなのかどうなのか;


さて、まずは親父(4コマ上は研究所所長)の方の記憶を辿ってみることにしましょう。

・・・まぁ、いきなりでアレなのですが、実は本当の父親なのかはイマイチはっきりしない
という、身も蓋も無い事実が転がっているわけなのですが(ぉ

というのも、戸籍上は自分達には父親がおらず、いわゆ婚外子(古い言い方だと非嫡出子)なのです。
どうやら父親には別の家庭が既にあり、うちの母親とは婚姻関係が形成できなかった・・・らしいんですが、
これは別な機会に記述することになるかとは思いますが、その事実も残った母親がこれまた墓まで持っていってしまった為
もはや確認するすべが無いのです。

一応、父親が亡くなる2週間前に、母親宛に「我々(D型E型)を、自身の子として認知する」という文書を
残していたことが、母親の死後発覚した(もしかしたら、父親の死後に一度だけボソッと母親が話したことがあるかもしれない・・・が、こちらの記憶が曖昧すぎる)
ので、私生児にならずに済みましたが^^;
まぁ、個人的には生まれもくそも無く、文字通り命を懸けて育ててくれた親は親なんだから、そんなこと
気にする必要性は全く無いんですが。
なにぶんその子供がこんな状況に置かれてしまった故、少しでも生き抜くためのヒントが欲しいなぁ・・・と
思った次第なのです。

・・・結局、自分達の出生は母子手帳も見つかっているのである程度判ったのはいいのですが、育ての親
の素性が。、今にして思えば明らかに胡散臭さ炸裂なのですよ。

4コマのネタにもさせてもらいましたが、父親の職業は「酒屋(つまり自営業)」です。
普段は忙しいため、こちらの家に帰ってくるのは3日に一度程度。しかも土曜日以外は夜帰ってきて
翌朝にはお店に帰ってしまうという、こちらからの見た目としては、『すごく大変な仕事をしている人』として映っていました。

実際のところは、先の出生まわりから本当に忙しい時もあれば、多分本宅で過ごす日も多かったのだと思います。しかしこれですら推測の域を出ないというのだから・・・

そして、自身の職業を生かして何とか我々の気を惹こうという親心から出てきた特徴的な行動として
 ・1週間に一度、ダンボールにみっちり詰まったお菓子を運搬してくる(市販価格\2,500程度)
 ・配達の手伝いと称して、一般の人が入れない卸売業者の倉庫や、事務所まで連れて行ってくれる
 ・ついでに実質関係者専用に近いノベルティグッズを引っ張ってくる

の三つがありました。

小さい子供にとって、ダンボールに詰まったお菓子の山は、夢みたいなものでして、お菓子に関しては
家から在庫がなくなることが一年通して発生しませんでした。
・・・その関係で、何か口寂しくなるとすぐお菓子を食べてしまい、肝心の食事のときにお腹が空いていない
という、本末転倒な事態を招いたりもしましたが(汗
しかし親もただお菓子を与えているだけではなく、微妙なマーケティングを行っていた様子で、
新発売されるお菓子類をいち早く取り寄せ、我々からの評価が低いものは店頭に並べないという
したたかな性格も持ち合わせていました。
(自分の印象に残っているお菓子は、「ちょぺー!」のCMで昔知られた、『ビアボー』というでかいプリッツみたいなヤツ。あれのビネガー味は家族一致で評価が低かったです;もうひとつの味は逆に大好評)

二番目は、多分親の仕事を見せたかったのだと思います。
2週間に一度ぐらいのペースで、お得意様の事務所や個人宅、酒やお菓子の卸売業者、大口取引のある
ホテル・旅館(ちなみに湯の川温泉街のど真ん中に店舗がありました)などに連れて行かれ、時には車の中から
こっそり取引の様子を覗いたり、ある程度成長した頃からはお酒やジュースの入ったケースを一緒に持っていったりしていました。
父の晩年は副業で旅館にどじょうを卸売りしていたらしく、大野(現在新函館駅が建設予定の町)まで出向いてどじょうを仕入れていたのと、湯の川グランドホテル(今は名称が変わったのかな?)の調理場までE型一人でみりんを配達に行っていたのを覚えています。
子供に全部任せんでもいいだろうにと当時は思ってました^^;
ついでにこれは時効だと思うのですが、10歳ぐらいの頃に、父親の車を運転させてもらったことがあります(ぉ
配達帰りの山の中の150mくらいの直線を走ったのですが、えらいハンドルが重たいのと、アクセル&ブレーキの感覚が全く判らず、えらい低速で走ったことだけが比較的鮮明に記憶に残ってます。

三番目は丁度二番目に関連して、とてもじゃないが個人では手に入れるのが困難な、ある意味小売店レベル専用のグッズを家に結構持ち込んでいました。

具体例
 ・BOSSジャンだけではなく、BOSSロングコート、傘(折りたたみではないタイプ)、専用傘立て、目覚まし時計など
 ・お菓子「わいわいかるがも」の巨大缶(高さ60cm程度、上は座面付で座れる)

BOSSのロングコートはE型が主に着用してましたが、小さくなったので誰かに譲ったはず。
専用の傘立ては現在ゴミ箱として活躍しています。残りは荒っぽい使用により破損;
BOSS傘はデザインが渋く、かつ大きめサイズだったので使いやすかったんだけどなぁ・・・
巨大缶はもっぱらお菓子入れとして、北海道に住んでいたころに活躍していました。
最後はフットスツールとして使っていて、天板を踏み抜いて壊したっけ。

多分他に色々あったはずなのですが、後述するさらに胡散臭い品々の関係で記憶から吹き飛んでいるものがあると思います。

基本的には非常に面倒見が良い・・・というか、母親共々こちらを溺愛していたらしく、事あるごとに
家族で汐泊川付近までピクニックにでかけた覚えがあります。
・・・あぁ、そういやその川でリボンシトロンのナップザックを放流してしまったことがあったなぁTT
ろくすっぽ泳げないため、泣く泣く海に流されていくのを見送ったっけ。

ー閑話休題。
そんな父親ではあるのですが、当時から胡散臭く感じていた部分で、今考えるとどう考えても・・・という
側面がチラチラっと見えていたりもしました。

■子供に使わせちゃいけない道具を持ってくる

 4コマ左列側になりますが、銃刀法改正前の時期だったため、とんでもない威力のガスガンを持ってきていたりしてました。
 具体的には、E型の持っているM93Rは良いとしても、D型の持っているボルトアクションライフルは、ベニヤ板を貫通します;
 さすがに子供に持たせるのは危険だと判断したのか、ライフルは翌日もって帰っていきました。M93Rは8年前までは自宅に廃品の如く転がっていました(ぉ
 先の運転なんかもここに入るんじゃないんだろうか;

■家族のコミュニケーションが麻雀

 計算もそこそこできるようになった小学校3年生ぐらいから、定期的に麻雀をやっていました。
 基本ルールはファミリー向けなのでオカ・ウマなし、30,000点基準、完全先付け・喰いタンなし。
 正月だけ特別ルールとして、1,000点10円のレートでの賭け麻雀になってました。
 金額は微々たる物ですが、こちら側にしてみれば小学生にギャンブルさせるなよ!と毎年文句をつけていたのですが、父親の言い分としては「何か賭けないと緊張感がないだろう」の一点張り。
 今となっては確かにそうなんだろうけど・・・と思うのですが。

 ちなみに父親の麻雀の腕はかなり上・・・というか、地味にイカサマしてたんじゃないか?という感じです;
 (作中ではD型が一発で振り込んでますが、一発ツモが結構ある上、こちらの待ちを一点読みでほぼ確実に当ててくる、手元での忙しない牌まわしや、盲牌可能、基本的に牌の立て直しなしなど)
 最近福本漫画などで麻雀周りの情報を手に入れる機会がありましたが、そこで出てきている細かいテクニックやトークや動作による心理的かく乱、一部ガン牌してたんじゃ・・・という痕跡まで父親のイメージに重なるため、多分どこかの雀荘で打ちまくっていたか、もうちょっとキナ臭い事していたのか・・・と、
 若干不安な要素が付きまとっています。

■明らかに家に不釣合いな調度品を突然持ってくる
 さすがに伏字にしましたが、実際に我が家には父親曰く「その筋の人の借金のカタに貰って来た」という、商売人としては何となく間違っては居ないけれど、危なすぎるだろうという品々がありました。
 実際、その筋の人たちとは縁があったらしく、一度だけですがその事務所に配達に行く車に同乗したことがあります(汗
 そのほか、その筋の人たちの本宅がどこかってのも知り尽くしているのか、自慢げに「そこの家に監視カメラがあるのはだな・・・」とドライブがてら何箇所か巡ったこともありました。
 まさかとは思うのですが、昔その筋の人たちと麻雀をしていて、商売を始めた後も取引先の交流+借金の棒引き手段として1局打って、勝ったら何か頂いて帰ってくる(負けたらそのままツケ)ってなことをしてたんじゃないか?と勘ぐってしまうのは、漫画の読みすぎなんですかねぇ・・・

[番外]
■SFCをついに買ってくれなかったのに、PCは即断で買った

 これはもうネタなのですが、父親は生涯ゲーム機に関しては反対しまくっていて、ファミコンを買ってもらう交渉をするのにでも1年位かかり、SFCに至ってはついに買ってもらえずという状態でした。
 まぁ、お蔭様でFC後期の良作を掴むことになったのですが。運がいいのか悪いのか・・・
 その反面、中学生になったお祝いだったか、その年の誕生日祝いとして、PC-98をフルセットで購入してもらいました。
 外付けのHDDは後に別ルートで購入したのですが、本体は函館電子部品センターで購入したのをハッキリと覚えています。
 しかもキャッシュで。
 別にその時はPCを欲しいなんて一言も喋っていなかったと思うのですが、『うまく使いこなせれば、店の経理処理の手伝いにもなるから』という、こちらとしてはよく判らない理由で突然23万近くするマシンが手元にやってきた時はさすがに驚きました。
 丁度このPCを入手したことが、現在の自分の立ち位置を決定付ける大きなポイントになったのですが・・・
 ただ、うちの両親は、我々に何を感じて突然PCを買い与えようと思ったのだろうか。
 まだまだパーソナルコンピュータといっても、本当に個人が使うというよりかは、ビジネスマンが自宅に持っているサブ環境というイメージが強かった時代だったんだけどなぁ。

 ちなみにSFCは母親がその後OKを出してくれたので、あっさり購入できました(ぉ

・・・また今回もえらい長くなってしまった;
本当はまだまだエピソードはあるのですが、一旦ここで区切って、次の4コマでもうちょっとほじくり返してみようかと思います。

試作D型

試作D型 について

名前:イナムラ試作D型:通称ダイ
製造年:MCMLXXXIとどこかに書いてある
誕生日:そろばんの日と覚えている
性別:男性をイメージして設計された

主な特徴:一卵性双生児の兄を生業とするサイボーグネズミ。
特技は並列作業と体調不良。
思考回路はスコアが非常に良く、複雑な処理も行えるが反面回路的にはセーフティシステムが脆弱で過負荷状態に陥りやすい。
兄の威厳がそうさせるのか、弟のE型より体格が少しだけ良い。
最近重度の対人不信を抱えていることがわかった。

メインタスクとして、お絵描きと日常行動、人生の見つめなおしを地雷除去作業のようなギリギリさで実行中。

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