人間は相対的に考えなくなってきているのか?

毎日行っているお絵描きや情報収集、家事仕事や趣味のゲームなどの日常での休憩時、
好んでコーヒーを飲んでいますが、最近どうもコーヒーを飲んだ後に不快感、軽い吐き気、遅れてやってくる頭痛などに悩まされていたため、物は試しとカフェインレスコーヒーを購入してみました。

ちなみに上記の症状は、典型的なカフェイン摂取後の離脱症候群です(汗

さすがに日本ではあまり普及していないため、お値段50gで598円と結構高め。ちなみにカフェイン99.7%カットとの能書き。

現在の技術では当然インスタント方式になっているので、入れ方はいたって簡単で、肝心の味と香りは通常のインスタントコーヒーの8割位に落ちては居ますが、”薄く淹れたコーヒー”のイメージで収まっているので十分コーヒーとして飲めます。
カフェインレスだけあって、摂取後特有の利尿作用や覚醒効果はかなり少ないですが、体調がすぐれない時でもお腹の調子を気にせず飲めるというのは有難いものです。
これなら調子の良いときは通常のコーヒー、体調がイマイチ・・・でも何とかコーヒーが飲みたい場合はカフェインレスと切り分けが出来るため、特にこれから寒くなる時期は、温かい飲み物の摂取に四苦八苦する回数は減りそうです。

日記的にはここまでで、後はここ数日でE型と話し合った思考のDUMPを少し放出。


ここ2,3年でとりわけ気になっている事象として、見えている/入ってくる情報量は自分達が子供の頃より
格段に増えているはずなのに、それを取り扱っている人間の思考レベルはそれに反比例するかのように
簡素化が進んでいる
ような気がしてならないのです。

それこそ「情報化社会」なんて単語が出ていた頃の世代になってしまっている自分や弟(E型)にとっては、”これからの社会を生きる”というのは、”ネットワークの発達に伴い、時間的、物理的な制限の減った結果、大量に入手できてしまう情報を、如何にして取りこぼしを少なくしながら、処理を行い、何を出力として残していくか”という事柄だと思っているのですが、特に社会に出てからの11年、いろいろな人を見たり接したりしてきた限りでは、どうもこの意見は少数派なのではないか?という疑問が出てきています。

特に自分達の教育課程の都合上、ネットワーク上での活動が比較的馴染み深いため、主にネット上での周囲の状況に気が回るのですが、これがどうも自分達から比較すると「この人の日常生活は一体どうなっているんだ??」と思わず首をかしげずには居られない状況に頻繁に遭遇します。

そういう事例に遭遇したとき、E型と二人で「どのような過程を踏めばそのような思考を身に着けることになるか?」という思考実験を行ったりするのですが、元々同じ環境で育った一卵性双生児という境遇からでは、人生のifを模索するのに限界があり、1-2時間話し合った後、「我々とは全然異なる、少なくとも何事にも”考えない”方向に重きを置いている事例が何回も重なってくると発生しうる可能性がある」という、大雑把な結論しか出せず、毎回毎回もどかしい思いをする羽目に陥っています。

確かに”単純に生きる”と定義した場合、社会の事情、文化の成熟具合、集団を構成する人数にあまり関係なく、必要な物事というのはある程度一意に決定できるものだと考えています。
ただし、それは一生物としての”人間”が生きているだけであって、それ以上に何かしようとする場合には必然的に必要な事項が増え、その結果”外界や内面から沸きあがってくる物事について考える”という過程が増えていくものだと思います。

そこに照らし合わせると、現在自分達が目撃している周囲の人々の物事への対応は、何となく「3-40年前もしくはそれより以前の、入手できる情報に物理的・時間的な制限が課せられていた社会での人の生き方」に近いのではないかと感じています。
(これは別に自分達が現在生活している以前の社会を否定しているわけではありません。あくまで時代による差異だと考えています)

すると、最初に書いた、”増え続けている情報に対してどうするか?”という対応を自分達と周囲の人々で比較すると、相対的に”何故か同じ時間軸に存在する、かつ情報の取得の制限は極めて少ないはずなのに、扱っている情報量が周囲が圧倒的に少ない”という不思議な状態になってしまっています。

少なくとも自分達が周囲と比べて極端に特別な存在だと考えるのは、確率論にしても感情面や社会的な倫理面にしてもあまり想像したくない、できれば最後の選択肢として残しておきたいと思っているため、毎日毎日自分達から何となく遠ざかっている周囲を見つめていると、寂しさとむなしさがこみ上げてきます。

・・・今回はここまで。
要約:”情報自体の流れは増えているんだから、もっと情報をきちんと集めて考えていかないと、後でえらい目に遭うぞ!”・・・かなぁ。

試作D型

試作D型 について

名前:イナムラ試作D型:通称ダイ
製造年:MCMLXXXIとどこかに書いてある
誕生日:そろばんの日と覚えている
性別:男性をイメージして設計された

主な特徴:一卵性双生児の兄を生業とするサイボーグネズミ。
特技は並列作業と体調不良。
思考回路はスコアが非常に良く、複雑な処理も行えるが反面回路的にはセーフティシステムが脆弱で過負荷状態に陥りやすい。
兄の威厳がそうさせるのか、弟のE型より体格が少しだけ良い。
最近重度の対人不信を抱えていることがわかった。

メインタスクとして、お絵描きと日常行動、人生の見つめなおしを地雷除去作業のようなギリギリさで実行中。