選挙の度に思うことを、一度だけでも残しておきたい

※時事問題に対して記事を書くのはずっとためらっていましたが、今回だけは一言書いておきたかったので、あえて記載しておきます。
自分自身ももこのことを、これからもずっと忘れないために。

2012年12月3日に、衆議院総選挙と東京都知事選挙が公示されました。
最早おなじみとなった、テレビや街頭演説で、自分達の政策や相手陣営の批判を
繰り返す行為ですが、自分としては「こんなことをやっていても何の意味も無い」
もう15年ぐらい前から考えています。
それこそ投票権も無い中学生のときから、母親に対して、

「なんで選挙のときだけ皆でわーっと盛り上がって、後は選ばれた議員の人達にまかせっきりで知らん振りなんだろう?」
「それなのに、何か問題が起こるたびに”コレじゃダメだ、やっぱり他の人がいい”なんて虫のいいことを言うんだろう?」

等と文句をつけていた記憶があります。
その疑問は高専に通い始めたときは、学友に対してもぶつけるようになり、就職した後は会社の同僚・上司に対しても何かと聞いてみたりしていました。
しかし、まっとうに考えのある答えが聞けたことは一度も無く、一番多く返ってくるのが、
「そんなことはどうでもいい、とにかく選挙とか政治って面倒だから、ソレ専門の人に任せてしまえばいい」
次に返ってくるのが、
「どうするか?ではなく、”如何に自分に現金を落としてくれるか?”が重要だ。それ以外は気にしなくて良い」
というものでした。

この発想には本当に疑問があり、本当に自分達の国の未来を考えるのであれば、今一時の利益(面倒くささの排除も含む)を求めるだけではなく、5年10年の長いスパンで物事をどうやって変化させていくべきか?というのを重要視しなければいけないのではないか?と今でも考えています。

自分の中で印象的だったのは、2008年の第45回衆議院総選挙で、コレまでの自民党、公明党主導の政治体制に嫌気が差し、一度でも良いからそれ以外の政党へ政権を渡し、新しい政治の方向性を考えるべきではないか?という機運が高まった結果、民主党が第一党となり、何十年かぶりに大々的な政権交代が発生した瞬間だと思います。

この選挙の最中に、丁度函館へ帰省する機会があり、お墓参りを済ませると共に、函館に住んでいる伯父とじっくり話す機会がありました。
その時伯父は既に定年を迎え、実際に社会の力とはなれない立ち位置になってはいましたが、それまでに居た社会のポジションがかなり”権力者寄り”だったので、どういう話が聴けるのか、若しくは自分達の考えを真っ向から切り捨ててくるのか、ある意味楽しみと不安が入り混じっていました。
(伯父はすごく親しく・・・というか自分達をえらい可愛がってくれていましたが、当時はその気になれば地方議員の一人や二人の首を飛ばすことが出来たらしいです;)

そのときの伯父の話はよーく覚えています。

「選挙なんぞ、2週間ぽっちで何が出来るというんだ。そんな短期間で選挙区全体なんかに自分達のやりたいこと、それに付きまとうリスク、どの程度の時間が掛かるのか?等というのは全く伝えることなんかできず、結局自分の名前と耳障りの良い単語を一言二言叫ぶだけで終わるしかない。」

「自分達のやりたいこと、政策にまつわる話を本当に国民に知ってもらいたいなら、それこそ1年中選挙区のあらゆる場所を周り、集会を開き、何回でも何回でも自分達の話をして、その時集まってくれた人々の意見に耳を傾け、”最終的に国民全体、議員の双方がどうやっていけばその政策は実現し、そこから我々に何がもたらされるか”を一人一人が真剣に考えないと、単純に利権にしがみついている人間だけで政治が動かされてしまう。」

「それを拒否し、短期間の選挙活動だけに終始する国会議員もどうしようもないし、それに乗っかってしまい、自分達の国の行動を決めるのは結局国民一人一人であるという事実を忘れている国民にも大きな問題がある。さらにそれを拡大させるかのような振る舞いをするマスコミも論外である。」

まだ20代半ばのD型E型と膝を突き合わせながら、口惜しそうに語る伯父の姿にある意味感動を受け、「まだ日本にそうやって政治のことを考えている、”権力者側”だった人もいるんだなぁ。決して利権に参加できなかった人達のヒガミという矮小化された話ではなかったんだなぁ・・・」
と、しみじみ有難い存在が近くに居たのだなぁと感じていました。

・・・それから4年、国民性は全く変わっておらず、その時託した政権を見守るということも出来ず、何かあるたびに自分達の理想=利益とは違うから止めろと口を挟み足払いをし、本来何年もかけて行わなければ実現しない政策を悉く潰し、その不備をマスコミや野党が煽り、それを「民意だ」の一言で矮小化して政権に無茶な圧力をかけ、瓦解したところに本来天災であった東日本大震災ですら現政権の不備から悪化したものだと難癖をつけ・・・と傍から見ればアホくささを通り越して、最早狂気の沙汰としか思えない行為をひたすら続け、今に至る状態。

今回の選挙も、あいも変わらず耳障りの良い単語だけを並べ、他党の政策の批判ばかりして、そのくせ自分の政策はさっぱり説明せず、その過程にどんな問題が横たわっているかは陰に隠しながら短期的なメリットばかり強調する、そんな醜い争いになっています。
本当に何も変わっていない選挙態勢にうんざりしてしまいますが、ここで自分達がくじけてしまったら、国政自体が利権がらみの団体の力だけで全て決められてしまう、最悪の世の中になってしまうため、キッチリ1票の投票権を行使しようと思っています。

それでもまだ衆議院総選挙は自分の投票が国家の運営に僅かなりとも影響を与えられるからマシだともいえます。
神奈川在住になってから痛感するのは、東京都知事選挙が、実質的に国会議員の次に発言権が大きい地方首長を決定する選挙だというのに、東京都民しか投票できない点。
隣の神奈川県に住んでいて、東京にも頻繁に行き来するにもかかわらず、選挙に口出しすることはおろか、投票権も無いためただ黙って指をくわえて選挙の行く末を見ているしかないという現実が口惜しくてなりません。
恐らく他の地域に住んでいる方も同じような歯がゆさを感じるものだろうと思いますし、政令指定都市以外に済んでいる人達は、地方首長がどんどん発言権を有しながら大都市の首長や都道府県知事を歴任しながら国政に入っていくのを本当に黙ってみているしかないので、もし現在そのような環境に自分が置かれていたら、もっと悔しい思いをしているのかもしれません。
民主主義自体が、社会の変化速度(=物事の決定速度)を犠牲にする代わりに、個人一人一人にも意思決定機構に参加してもらう主義のはずなのに、その遅さに文句をつけ、反対に出てくるものは自分達の直接的な利益にまつわる話だけ・・・という、ドラえもんののび太より酷い国民性をさらけだしています。