イチから物を創り出す楽しさ、難しさ、そこから思う違和感

6月末~7月上旬と比べるとやや涼しくなっている感じがありますが、それでも体力を削る分には十分な暑さを発揮してくれている中での今回のDumplog。
結構な頻度で耳鳴りに見舞われるD型です。眼とか神経とか色々使いすぎているんだろうか;

(このBlogも含めて)日々の生活の中で何か物を創り出すという行為について、自分自身できるだけ”手出しの部分”多くしながらどこまでその結果を残していけるか?という事柄を常に考えているのですが、それを実際に行うには、数多くの手順や前提条件を考慮したり突破したりしておく必要があるのだなぁ・・・と感じています。
 あまり大きなことは言える立場とは思えないのですが、どうも周囲を見ていると、『何かしている様に見えて、その実全部他人からの借り物をそのまま利用しているだけ』という人が少なくない(かつ、自分の記憶の限りでは徐々に増えてきている)と感じて仕方が無いのです。

 自分自身の日常生活や、これまでの人生で記憶に残っている出来事やその時感じていた感情や認識を一つ一つ手繰り寄せてみると、概ね何かを創り出そうとした時に持っておかねばならない概念というのが一貫して出ているのかなぁ?とうっすら感じたりします。
 今考えている要素としてはこんな感じです。

  1.その物事を創り出したいという”情熱”
  2.基礎となる知識や手段をある程度学ぶ”時間”や練習する”機会”
  3.(とりわけ見栄えだけ良い)手段や、目標そのものを安易にすり替えないための”意志の強さ”
  4.単純なものだけではなく、複雑な物事にも対応するための”要素分解に対する知識と経験”
  5.自分自身が何を行い、その中で何を手に入れ、何を失ったかを把握する”客観性”

 多分ほかにも重要な要素はあると思うのですが、今思いつく限りで書き連ねています。
 少なくとも上記の要素を、一つ一つその人個人の能力に応じた過程を経て学び、実践しながらそれが正しく習得できたのか?正しく行使できているか?自分の目的がすり替わっていないか?etc…を相当長い期間過ごす必要があると思っています。
 自分の体感ではおおよそ10年ぐらいはかかるのではないだろうか?と思いますが、機会や時間に恵まれなければさらに時間がかかるかそもそもあきらめざるを得ない状況になってしまいますし、その機会を与えてくれる人の存在(いわゆる”師匠”)があればこれらの手順はかなり簡略化できますが、実際には協力者も殆どおらず、例え一人でも黙々と自分の意志のみで続けていく形になるほうが多いのではないかと思います。

 当然その過程で、別な経路(とりわけ現世的利益を追い求める形になることが多い)をとろうとする場合、その時は「十分な成果が出たらまた元の道に戻れる」と考えていても、実際に元の道に戻れるかは元々持っていた情熱の力以外では”時の運次第”程度の絶望的に低い確率論でしか戻ってこられない状態になってしまいます。
 現世的利益が絡んでくる場合は、そもそも元の道に戻る意義自体を見失うことが圧倒的に多いため、より自分自身に強く言い聞かせてその道を逆に塞ぐ位の気迫が無いと「気がついたら自分は何をしているんだろう・・・」という事態にもなりかねません。

 実際に具体的な創作活動を始めて12年、人生を通してそういった活動を行っている記憶を辿っても高々25年あるかないかという短い経験ではあるのですが、上記の条件を例え地味でも決して欠かさず、「自分はどこまでやれるのだろうか?」と自問自答しながら活動を行っている人を見る機会は殆ど無く、それとは対照的に社会背景の変化や自身のその時の限界などにより、一時的にでも方向転換を余儀なくされ、そしてそのまま基の活動に戻ることが出来なくなってしまった人達をそれこそ数え切れないほど見てきました。
 全くのゼロから全ての物事を創り上げるというのはあまりにも遠い話ではあるのですが、かといって”常に目の前の物事から食いっぱぐれないようにする”スタンスでは、あっという間に自分が何をしているかわからなくなり、下手をすると「結局何したっていいんじゃないか?」という、本来あった自分の行動理念を全て捨て去ることにもなってしまいます。
 
 最終的にはどちらとも言えない形にはなると思うのですが、”自分が即時破滅しない程度に日々を見据え、それ以外は出来る限り自分が当初思い描いていた目標に向かって、その都度自分の状態(バランス)を見極めながら出来る限り活動を続ける”という方向で生きていくことになるのだろうか?と考えています。

 ・・・余談ですが、二元論は物事の比較に用いやすいのでつい使用しがちですが、実際にはこの世界は本当に沢山の要素が複雑に絡み合っている状態で成り立っていて、二元論では「どちらがより真実から遠いのか」しか決めることはできないことに注意しなければならないと思うのです。